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ニセモノの良心

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2019年 10月 29日

宇崎ちゃんポスターについて、オタクとフェミ相互理解のための補助線

あいちトリエンナーレ冷めやらぬ中、またも表現の自由を騒がせるような案件でtwitterどったんばったんしてる。
宇崎ちゃん献血ポスターを赤十字が使い、それを太田弁護士が「環境型セクハラみたいなもの」と非難したところに端を発している。


さて、この件に関して、まずは僕の立ち位置。
「これは広告考査の問題である」
ポスターは取り立てて作るの自由である。作るまでは内面の自由。
で、それがその場所にふさわしいかどうかは、「その掲示場所の責任者」が決める。
例えばTVCMだってあんまエロいのとかグロいのとか、射幸心を煽るが来たら謝絶もするし
「これは青少年にはふさわしくない内容」との判断があれば「青少年に見てほしい番組」からは外す判断もある。
局によればド深夜しか流さないCMとかもある。
同じようにポスター掲示場所が(掲示責任者により)配慮されていれば、取り立てて文句言う筋合いなどない。
太田弁護士が(アメリカ人になんか言われて)騒ぎ立てる前にはこのポスターについて誰も気にしていなかったということは、
基本的には問題なかったと思われる。

(ちなみに太田弁護士の「環境型セクハラ」発言については、弁護士として法的な概念を持ち出しした以上、
法的な論拠に立ってきちんと論争すべきであったと思う。彼女は「スジが通っていない」のだ。)





でも、当然ながら、僕のTLにも賛成反対両方いて、お互い言うことは「完全にかみ合っていない」ことは気付いてはいた。

これ、なんというか、マルクス経済学者とケインズ経済学者が同じ事象見て、違う言葉で語り合って「何言ってるんだこいつ????」ってなるのに似ている。
分かりにくい例えだけど、でも「世界をどう見るか」自体がそのくらいそもそも異なっている。


ということはお互いに相互理解のための補助線が必要である。

ということで、今日の僕は、どうにかこうにか相互理解のための補助線を引いてみようという試みをしてみる。




まずは、今回の対立軸を
・フェミ
・オタク
と設定する。かなり乱暴だし、当然属性かぶっている人もいるし100人いたら100通り考えはあるけど、
今回は「分かりやすい補助線」なので、見逃してほしい。







・まずはフェミニストについて考えていく。
まず言い訳。フェミニストはよく「一人一派」を名乗ってて扱いづらいので、あくまでこういう傾向だと思って。


といってフェミニストのことについて、ぼちぼちお勉強して体系的に書こうとしたけど、
なんかすでにきれいにまとまっていた。
https://anond.hatelabo.jp/20160307231710
よく調べてあるなぁ。

対立を引き起こしがちなのは、リベラル・フェミニズムと、ラディカル・フェミニズムである。

リベラル・フェミニズムは単純に分かりやすい。性根はロールズの僕もここに分類される。
要は「同じ人間なんだから、性差によりやりたいことができないとか、社会での役割に偏りがあるとか、そういうの良くないよね?男女は平等であるべきなんだから。
なので、法律とか意識変革とか進めていこうね」という一派である。
戦前生まれの頭の固いおじいちゃんとか、ま~んとか女性のことを呼んでる阿呆とかでもない限り、かなりは現代人には受け入れられやすい理論である。
もちろんロールズなので、反転可能性テストは可能。つまり男女ひっくり返してそれがおかしくないかを検証できる。(簡易版無知のヴェールだ。)




ラディカル・フェミニズムはここより一歩進む。
社会全体がそもそも家父長制をベースに男性優位になっており、そこに形式的な平等を導入しても、真の平等にはならないと考える。
そこにおいて女性の自己決定は無意味である。社会がそれをきれいに搾取していくから。
(上野千鶴子が選挙に行かないとか公言するのも、おそらくこれである。
要は、いまのルールがすでに既得権益側に有利になっているのに、なぜその同じ土俵に登って勝負しなければならないのかってことだ。)

その解決のため、男女間の「闘争」を起こす一派である。

ラディカルフェミニズムのポルノ廃絶運動するというのもここから生じている。
女性が望んでポルノ業界で働いていても、その自己決定は社会の歪なルールにより、女性は身体的肉体的な被害を被る。
またポルノ自体を容認することは、女性蔑視を再生産することになる。(つまり、二次元三次元を問わないのである)


また反転可能性テストは不可能である。男性はそもそも抑圧されていないので。



今回、宇崎ちゃんポスターを問題視するのは「ラディカル・フェミニスト」の思想側面を持つ人である。
リベラル側は、男女性差フラットを目指すので、例えば「まぁ…私もいうても献血で堀川国広ポスター貰ったしなぁ。あれエロいよね」と流す傾向にある。









さてオタク側。フェミニストの言う「エロ表現の自由戦士」である。いまtwitterみたらエロ表現の自由の精子とかも言われてた。ひでぇw

女性蔑視と戦ってきたフェミニストと同じような側面として、オタクも蔑視されてきた歴史を持っている。
何か事件があれば「加害者は〇〇いう暴力ゲームに夢中で」とか「なんか同じように犯罪起こしそうな見た目してる」とか、
特に悪いことしていないのに雑なクラスタ分けで迫害されてきていた。

まぁキモいサイドにいるのは自覚的でもあるがそれで直るものでもない。
それゆえ自らの好むものが社会的に「封殺される懸念」というのは、常に怯えてきていた。(実際いろいろギリギリだった)
そして、だからこそ「表現の自由」の恩恵に自覚的であった。

特にエロとかグロは、国家権力が表現の自由へ介入する際の入り口だったため、
その規制入り口に、権利の恩恵に自覚的だった者が立っていることは実は意義深いことだったのかもしれない。











で、今回の宇崎ちゃんポスターである。


一方で、今回の宇崎ちゃんポスターのフェミ側(こういう種類分けもどうかと思うけど、のも)からの批判はこうだ。
・「この絵は不必要に煽情的に女性を描いており、公共の場にはふさわしくない。

この煽情的にというのがまずは第一のポイントになる。要はこれがエロいかどうか。



ちなみに、これが宇崎ちゃんポスターがエロいかどうか、実はガチのマジで「オタクにはわからない」。
というのはオタクには自明の「あなたの地雷は誰かの萌え」という思想が行き届いているため、
「俺にはエロで刺さるが、まぁ普通に服着てるから、一概にエロいとは言えないんじゃないの?」と、徹底的に判断を個人個人に委ねるためである。

まぁ全員に「おまえはどうなんだ?」聞いて回ったらだいたい「なんかエロい」で統一される気もする。ただこれは、別の絵を持って回っても答えは一緒だと思う。
(ちなみにフェミニストが「ジブリはオタクからエロ消費されてない」とか勘違いしているけど、あれこそロリコン監督が作った極致だぞ。)


それゆえオタクは怯えるのである。
「ちゃんと服着ている以上、これがエロいとなるとまぁ他もだいたいエロいし、どっちかというと小さい方がエロい気もしてるし、
なら明確な「これが駄目」というラインが引けない。となると二次元表現はだいたい全部駄目になるな。」と考えるためである。
となると、ここでの後退戦はあり得ない。自らの好むものすべてを封殺される危機となり、徹底抗戦ラインが引かれてしまう。



一方のフェミは「ここまで自明なのに、エロいと思うことすらすっとぼけやがって。カマトトぶるなよ」となるわけである。

(追加補足:ちなみに、「これがエロいって言う人の心がエロいんですー」っていうオタクの返しも、当然ながら「エロいかどうかの判断」をオタクが個々人で持っているためである。)




第2のポイントとして「エロいのは駄目なのか?」
ラディカルフェミニストからすれば自明の「エロ=女性の性的消費=性的搾取であり悪」という理論、オタクには浸透していない。
「え?仮にエロいとしても、なぜダメなの?わいせつ物該当でもあるまいし。。。これがエロいとなると、本物の巨乳女性はいるだけでエロいって思われている?」となる。

「別に巨乳がエロいわけじゃなく、それをエロく書いて性的消費しているのが悪い。それが証拠に乳袋が」とかなんか表現各論に入ると
「いやコスつくるとき立体裁断したら乳袋出るし…え、でも巨乳はエロくないんだよね…?」と途方に暮れてしまうのである。
また、当然ながら現代人のオタクはリベラル・フェミニストでもあったりする。というか大抵そう。そうなると反転可能性テストをして
「お前らもいろんなもんで男を性的消費してるやないかい!知ってるんやぞ!カマトトぶりやがって!」となるわけである。だって主語が女性だから。
ただこれも今度はラディカルフェミニストには刺さらない。何故ならこれは抑圧をされていない男性側の言い分だから。
(もちろん徹底的にすべてのエロを潰すべきって人もいる。)

これについては、下で別被害をまとめる。



第3のポイント。公共の場とは?
フェミとオタクが平和に暮らすなら、エロいものは公共の場には出さないゾーニングというという考え方も出来る。
今回のポスターは、本当に公的な表現としてふさわしかったか?
論点整理しやすそうなこのポイントも、面倒くさいオタクにかかると自明のものにはならない。

まずは、赤十字が公的団体か。実は違う。日本赤十字社法によって設立された認可法人であり社団法人類似組織となる。
これにより公的機関の「広報ガイドライン」に従う必要はない。
次に、本当にゾーニングで守れるか?
これについては、実は発火点の太田弁護士が「真空パックAVで検索したら吐き気がするものに出会った。ただちにやめるべき」
という、お前なんでそんな検索ワードでセーフサーチオフにして検索してるんかいというボケをかましており
「ゾーニングは突破口であり意味がない」との認識もオタにある。(ちなみにボケじゃなくて太田弁護士の表現抑圧作戦だと僕は思った)
また、このポスター絵、実は本屋で販売されている宇崎ちゃん3巻と同じであり、公共の本屋も危なくなる(つまり18禁に追いやられかねない。
そうなると、売り上げの問題で結局排除と同様になる)

それに「公共の場」ルールが出てくる。まさにあいちトリエンナーレで叫ばれたあれだ。
つまり「表現の自由を行使すれば、それは誰かを必ず傷つけるが、それはある程度受忍しなければ」と言われてたのどこにいった?となる。


つまり、ガタガタいろんな想定をするオタクは、素朴な「見えないところでやれ」というフェミ側の意見も飲めなくなってしまうのである。




・「この絵は不必要に煽情的に女性を描いており、公共の場にはふさわしくない。
このたった一文ですら、どの立場から見るかで世界が違うのである。



今回、補助線を引きたかっただけなので、世界の見方についてこれ以上どうこういうつもりも必要もなかったのだけど蛇足をつける。しかも2つも。
オタク止まれ
「宇崎ちゃんはエロく描いてあるけど、アメコミは巨乳描いてもエロくない」といった人を「おかしいやろ」とpixivまで追い詰めるのやめれ。
確かにアメコミもエロいと思うけど、タピオカの風刺画を描いた女性を追い詰めたフェミと同じ真似やぞ。そこは表現の自由を守ろう。



あいちトリエンナーレありかた検証委員会委員 岩渕潤子氏は巨乳女性への差別をやめろ
 さっきの2つ目のポイントで
「これがエロいとなると、本物の巨乳女性はいるだけでエロいって思われている?」と議論混同するって話をしたが、

これを完全に混同してしまったのがなぜだかフェミニストの岩渕氏であり、
実在の女性に対して、宇崎ちゃんと同じ大きさの乳は奇形であり障害と言い切ったうえ、「胸が大きいばかりにバカ女の役しか得られない女優さんのドキュメントもあった」と乳房緊縮手術を勧めている。
私の体は自分自身が決めるというフェミニズムの原点すら放棄しており、女性の体をパーツに分けモノ化している。明確に女性否定であり支離滅裂な差別である。
(後にアニメで巨乳に描くのは奇形であり障害と、大して変わらない訂正をした。)













あー、ここで留めるつもりだったけどちょっと筆が滑る。こっから本気の蛇足。

ラディカル・フェミニズムは私的領域たる内面の自由に干渉する。
それは必然的に。何故なら「あなたの選択は真の男女平等にならない」から。
つまり、自由より大事な「正義」がある。

一方で(形式的には、かもしれないけど)自由で平等たる現代社会は内心の自由を尊重する。
何故なら正義は演算できないし証明できないから。だから自由でいる。
だってロールズだって結局証明できなかったんだぞ。


その証明できない「正義」がまずもってあるというのは、実は憎むべき家父長制と親和性が高い。
というか、大して変わらない。
「女は俺の言うことが正解だから言うことを聞け」の「俺」が父親からにラディカル・フェミニズムに変わっただけである。

実際、ラディカルフェミニストたる岩淵氏が、目の前で「父権的保守」に合流し、
「巨乳はアホに見られるから乳を小さくする手術を受けろ」と言う様を見せられると

「自らの正義を信じる人って怖いなぁ」と思う。






by soulwarden | 2019-10-29 04:14


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