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ニセモノの良心

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2006年 02月 15日

ミュンヘンを観た

ミュンヘンを観た。


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この映画鑑賞記は、友達のブログpeekaboo styleとの共同企画です。
 同世代が同時期に同じ映画を観て、どのくらい感想が違うのか。
 こちらも僕のこのエントリと合わせてご覧戴ければ幸いです。
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 スピルバーグの撮った諜報機関モサドの工作員の話。
ミュンヘンオリンピックにて11人のイスラエル人選手が殺されたことから、
モサドは、11人の敵組織幹部の暗殺を決定する。
 主人公とそのチームは、欧州各国を飛び回り、1人1人殺害していく。
その過程で主人公達は、これは殺人ではないかとの呵責と苦悩をし、
そしてチームも一人また一人と犠牲を払っていく。

 この映画への非難が、イスラエルからもパレスチナからもあがったそうな。
ま、そりゃそうだ。
 スピルバーグの今回の映画は、両者を突き放したような視点だ。そのどちらにも加担していない。
 そこにあるのはいつも通りの、悪趣味の領域に足を踏み外しかけている現実描写だけだ。
突撃銃の乱射で蜂の巣になっていく人。血で塗れていく壁紙。
爆風でばらばらに吹き飛ばされる、さっきまで談笑していた人。
血漿。内臓。肉片。返り血。
逃げ場のない映画館で強制的に見せ付けられるこのシーン一つ一つ。その残酷さと無意味さ。儚さ。
彼が見せたかったもの。
 

 これは決して楽しむ映画じゃない。むしろ吐き気を催すタイプの映画だ。
で、わざわざ吐き気を催す映画を作って、スピルバーグは一体何を伝えたいのか?
それは「憎しみの連鎖」だ。こればかりは誤読の仕様がないほどの直球のメッセージだ。

「憎しみの連鎖」なんて言葉、いままで腐るほど聞いていていささか食傷気味なんだけど、
その食傷ぎみのテーマについて真正面からぶつかった映画、よく考えてみれば少ない。
そしてそのようなテーマの映画を、当に当事者たるユダヤ人が撮ったのは、おそらくはじめてだろう。
(スピルバーグはユダヤ人だ。)そこが今回の作品のすごいところかと思う。


 しかしこの映画を観終わったあとに残るのは、残尿感に似た後味の悪さとその陳腐なメッセージだけだ。
残酷なことは分かった。憎しみでは解決しないのも分かった。じゃあどうすればいい?
選択肢は、相変わらず殺し合いを続けることだけだ。出口が見えないだけ欝になる。
このまま殺し合いを続けるであろうパレスチナとイスラエル。それだけじゃなく他で争ってる組織や国や民族。
救われるにはどうすればいい?みんなで揃って左側のほほを出す?それともみんなでEDENみたく結晶になる?


 任務が終わって主人公は独り、ホームたるイスラエルから逃げた。家族だけの幸せを優先した。
これまでの暗殺対象にも当然に家庭があった。死んでいったチームにも家庭があっただろう。
 それらを犠牲にして得た年金で、自分の家庭だけの小さな幸せの平穏を願う。 
 その姿が、あらゆる矛盾から目を瞑り続け、それでも廻り続ける世界と、僕と、いろんな人が重なった。






なんか非常に厭世的な文章が出来上がって、書いた本人少々唖然。


<peekaboo - warden>

by soulwarden | 2006-02-15 00:40 | 日常


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