2007年 06月 06日

シベリア少女鉄道「永遠かもしれない」篠塚茜が可愛いすぎる件について

気分が乗らないので新規投稿。埋め立てはまた後で。
さて、おもいっきし趣味に走るよ。



さて、ここにいつもいらっしゃる方の中で何人ご存知なのか知らないけれど、シベリア少女鉄道という劇団がある。
脚本演出の土屋亮一は、
「月9とか何も考えずに見てて、恋人達の別れのシーンで急に空から七人の悪魔超人とかが降り立ってきたりしたらそりゃ面白いだろうに」
とのコンセプトで芝居を創り続ける大きな子供。

1時間半で状況説明の真面目な劇を構成し、最後30分でそれをいかに破壊するかに命を賭けている。これまでの公演はこんな感じ。そんな劇団。



今日は、先日千秋楽を迎えた最新作「永遠かもしれない」のレビュー。こちらはいつものフォーマットを崩し、30分状況説明、残り全部その破壊…というか壮大なるノリツッコミだった。
あ、こっからネタバレありね。
簡単にあらすじを解説すると、漫才の技法の「ノリツッコミ」あるでしょ?あの「ノリ」の部分が2時間続くの。「ってなんでやねん!」っていうまでが長い長い。
 最初、亡くなった恋人とか姉とか相方とかが沢山幽霊で出てきて「漫才中ちゃんと見守っているから」とか言ってるいい話かと思いきや、ちゃっかり幽霊達はそのノリの部分に参加しているという。で、相方役は時間以内に終わらせようと一生懸命奮闘するんだけど、忠臣蔵の途中にタイムトラベラーが出現したりキャッツアイが出てきたりで全く収拾がつかなくなる、そんな話。
・・・あらすじ書いても分からないね。


 しかし相方役の篠塚茜は何故あんなに可愛い?メリハリのきいた演技するし、パワーあるし、存在感あるし。
・・・この女優さん、昔付き合ってた女の子に顔も体型もすげー似てるんだよね。。。舞台で観てもドキっとする。




そして思う。メタ演劇という同じ領域の鴻上尚史と土屋亮一の差を。・・・併記しても同じ領域とは思えないくらいの差だ。(メタの方向性が違うというのもあるけど。)
これは才能の差ではなく、時代の差なのだろう。「80年~90年」という時代に生きた者と、それを通り過ぎたところにある者と。



 演出はなべて「神の視点」を持っている。当たり前だが、演出「神」がいうことは芝居では絶対だからだ。舞台の上が全て自由になる。
 そして鴻上はこの特権階級を観客に対してもふるう傾向があった。一番分かりやすいのは「トランス」。最後、メタ的視点を出演者全員がとりあうことで、今まで観客に提示してきた情報をひっくり返しまくることで物語を作っていた。
  鴻上の根底に流れるのは「絶望」である。絶望の縁にいながらも明るく空虚に笑い続けるのが鴻上作品の根底のスタンス。そしてこれは芝居というジャンルの空気と時代にも合致しており、一時代を築くことが出来た。(もちろんメインストリームは野田だけど。)


 しかし、土屋はそれを嘲るように、笑いを優先させる。
彼にとっての神とは「猪木」だったりする。そして、それも笑いのための記号化されたツールだ。

 今回の「永遠かも知れない」、キチンとした作品に仕上げるのなら、いくらでも可能な脚本だ。
 長い長いノリツッコミにそれらしい台詞を混ぜ込み、それにより出演者を「覚醒」させ、メタの場に雪崩込めば良い。「死してなお」と、想いを抱えている人は舞台上に沢山いる。
鴻上なら間違いなく、その作業を選んだであろう。しかし土屋は、相方の妹も、死者達の思いも意図的に放置し「永遠かも知れない」世界を優先させる。相方の妹、ずっと舞台の横に立ちっぱなしで待ちぼうけ。放置ここに極まる。


 絶望の中身なんて、言葉にしてしまえば、つまらない自分語りだ。鴻上もそのことには重々気付いておりながらも(「言葉は想いに、少し、足りない。」映画ジュリエットゲームの名台詞だ。)結局はそのスタンスから離れることが出来なかった。(そのジュリエットゲームが一番離れようとした作品だろうね。)


対して土屋は、メタ視点を徹底的に娯楽だけに使う。
演劇のお約束や伏線、時代状況から共通認識、舞台構造までも全て笑いの元だ。(真面目に芝居してる役者達を乗せた回転舞台を、猪木がビンタで回したりする。)



 面白いことに、土屋作品では、役のもつ「想い」は、投げっ放しで舞台中では触れられないまでも、実は叶えられている。死者達の想いも、相方の妹の想いも、主人公の想いも、全部救われている。相方は…まぁ、最後まで可哀想だけど。


多分土屋にはそんな意図はサラサラなく「いや、そんなことがしたいのではなくて、月9に七人の悪魔超人がね・・・」と言うに違いない。

でも観客として、「あそこで、いい物語へ行こうと画策してくれなくて本当によかった」と思う。
時代はすでに90年代でもなければ、まして80年代でもない。つまらない絶望も虚無も空虚もいらない。メタに逃げ込むのではなく、それすら遊び道具として取り扱ってくれる方が、いっそ清々しい。

 そういった意味で、いい芝居だったと思う。純粋に面白かった。



 あとこのレビューは、昨今のちょっとした小劇場ブームの若手筆頭に、その前の小劇場ブームの中心を並べてみて、何か言いたい気になっただけ。
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by soulwarden | 2007-06-06 02:55


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