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ニセモノの良心

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2006年 10月 24日

表現者の「見てもらいたい」を言い訳に使うな

(10/25追記:タイトル変えました。CNETに就職できないそうです。)

 Youtubeを擁護するとき「表現者は、作品をとにかく見てもらいたい」っていう論理使う人がいるけどさ、そういう人って自分で何かを作ったことあるんだろうか?
 

 「作品を見てもらいたい」そりゃ当たり前のこと。表現者は創ったからには大勢の人に観てもらいたいのは当然。威張るほどのことじゃない。


 でもそれは、制作費捻出のために2000円の広告を商店街の端から端まで売って歩いたり、制作費のためにバイトして、逆にバイトに時間を取られて作品創れないジレンマに陥ったり、もっとお金があるならあの機材が借りれるのにと悔しい思いをしたり、チケット売れないから昼飯抜いたり、そういう思いをしたことのない人間の言うセリフだ。

 表現者って、そこまでやって経済的に完結させるのが本当だと思う。
だって、それをしないとただの道楽じゃん。「これで食っていこう」というプロ意識ないじゃん。

 これで食っていこうと考えるから苦しくて苦しくて、だから表現者って伸びるんじゃん。
表現したいもの・客からウケがいいものとの狭間で悩んだり、売ったからには絶対にいいものを創ってお客さんにお返ししようって誓ったり、それがプロ意識になるじゃん。


 別に自分が金を取ってくる行為をしてなくても、作品の向こうで金稼いでくる人間の姿が見えるか、その人が自信を持って売れる作品を自分がつくる努力をしてるか、それが問われるわけじゃん。


「見て貰らえたらいい。」とか、そりゃ本音はそうだけど、それじゃあ次に繋がらない。
そんなのプロじゃない。道楽だ。
(プロじゃなくても、「プロ意識」をもってやるというのが表現者の基本ね。)



「見てもらったら幸せ」とか、表現者の原点の感情を、表現者以外の人間に安易に使って欲しくない。



 クリエィティブ・コモンズ(以下CC)だってそう。
CCっていうのは、「表現者」にとって次なる価値創造に既存の価値がぶつかってしまうから、みんなで権利を開放しあいましょうって言う運動じゃん。
 それなのに、「無責任な消費者」が、自分の使いたいように使えない時にCCの文脈で物を話しやがる。一体それによってお前は何をクリエイトしたのかと。創造しなきゃクリエィティブ・コモンズの意義がないのに。



つーことを、このCNETの記事見て思いました。

いいよなぁ。こんな駄文かいてても給料もらえるんだからさ。CNETは僕を雇ってくれないかなぁ。
(追記:この人、読者ブログで金貰ってないらしい。)

今見たら23事業者、ほとんど著作権者か著作隣接権者じゃん。

by soulwarden | 2006-10-24 02:27 | 怒り


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