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ニセモノの良心

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2006年 10月 09日

SE法理学者を時代は求めている。

全く議論がかみ合っていない。
essaさんは、現実論をしている。
僕は法理学の議論をしようとしている。
essaさんも分かってやってるんだろうけどさ。


大体、コンテンツの商品性と作品性の問題なんて、(自己表現のすり合わせ問題とあわせて)表現者がそれこそ紀元前から悩んでいる問題だ。僕だって、芝居や映画をやる度に頭悩ませている。だから書かれている事例はそれはそうだけども表現者は百も承知の話だ。もちろんYoutubeの百の可能性も承知。
これはYoutubeが出てきてから生じた問題ではない。Youtubeは、映像という比較的新しい表現形態で金銭面での障壁が下がり新しい手段が可能になったという、それだけのことだ。
 映画を趣味で撮る身としては現状すげー恵まれていることは肌で知ってる。
それこそHDVが10万やそこらで手に入るんだし、編集ソフトだって昔の1000分の1の価格で、1000倍やりたいことがやれるようになっている。作ったものをテープなんかに複製しなくたってYoutubeで全世界に公開できる。もう35mmテープを切り貼りしている時代は過ぎたのだ。だからその気になれば誰だって明日から映画監督になれる。

 でも、それはただの現象であって、一時的にでも他人の権利を侵害する言い訳にはならない。





「法」を言うのは、正義、公平、公正、平等、博愛といった「善なるもの(good)」を実現させるためにある。このgoodはessaさんの言われる自然法に近いかもしれない。
 で、そのgoodを実現するために、「そもそも正義って何?」「公平ってどう演算するの?」「公正って何?」・・・という論議をアリストテレスから始まって、ホッブス、ルソー、モンテスキュー、ベンサム、JSミル、ヒューム・・・現代でもハート、ロールズ、センといったそうそうたる面子が延々と議論している。
 その議論の成果が国会で実定法として反映される。(例えばアメリカ民主党の政策はロールズ正義論の影響を受けまくっている。もっと遡って啓蒙主義者たちがフランス革命や市民革命に与えた影響なんて書く必要もないだろう)

 で、象牙の塔の理論は、国会の場で実定法となり、その法が行政の手で運用されるころには、最初のピュアな議論から遠くなり、汚かったり、違法が常態化してたり、解釈が曲げられたりしてくる。

 まぁ汚い現実は置いておいて、法というのは理念から実際の運用までに
自然法⇔法理学⇔実定法⇔法運用
という道筋を辿る。


これをプログラミングに置き換えても良い。各々のフェーズはほぼ対応する。

開発理念⇔要件定義・設計⇔実装⇔現場運用


 システム運用現場でよく起こりがちな揉め事に「この開発理念からすると、Aの仕様がBという風に動かないのはおかしい」と言い出す人がいると思う。いやそれはそうかもしれないけど、Cという場合に例外が出るし、Dの設計にも影響を与えますよね。それを勘案してEになってるんですけど・・・ということってあるでしょ?

今回も同じ。essaさんが「自然法」と言っちゃうから
・誰が演算するの?
・いつ演算するの?
・その演算は誰が担保するの?
・損害に対して補償はどうするの?
・そもそも補償するの?補償するならどうやって損害を算出してどこから出すの?

等の問題が出るのだ。

それに対してessaさんは答えを返せていない。
(合意の問題には「合意できないときの想定」という答えを頂いたが、論点はそこじゃない。最大の論点は「それが自然法的に善なのか?」だ。)

そりゃそうだ。だって段階をたくさん吹っ飛ばして末端たる現場の理論と、同じく末端たる自然法
を直結させのだから、途中の設計段階や実装段階から矛盾が吹き出てしまう。


 だから議論の論拠が「みんなもそう思う」とか「合意が取れない場合」とかになって
「いや、だったらやりたい奴だけでやれよ。合意が取れないなら既存プレイヤーを巻き込むなよ。コンテンツなんか安く作れるようになったんだからさ。それにみんなって誰だよ。みんなが正しいと思ったらそれでいいのかよ?そりゃ数で言えば利用者>表現者じゃん。」としか思えない論議になる。

もっと重要な指摘をしている文章なのに、既存プレイヤーに対して全然説得力がない。



大体こんな問題が出てくるには原因がある。

法の分野にはSEが絶望的に不足しているのだ。
実定法を書ける人間は官僚含めて世に溢れている。
 しかしながら、現場の状況を把握し、さらに自然法からの要請を勘案しつつ法の設計図が書ける人は残念ながらいない。
レッシグ教授がいるじゃないかと言われるかもしれないが、逆に言うと現状 「レッシグしかいない。」ロールズにはハーツがいたように、レッシグときちんと渡り合え、議論を深め、その成果をPGたる官僚に渡せる人間がいない。
もっと言えばこれは本来ならば政治家の役割だ。でも政治家にはそんな社会的な合意も土壌もなく、何故か予算配分において口を出す人になっている。(法理学で言う分配正義の管理人?恣意性も高そうだが)



法にはSEがいない。だから法と現場の乖離が起こる。

例えば、著作権法について考えてみる。
著作権法に関して、みんなが使いにくくてみんなが損をしている状況はよく知っている。(僕も仕事上関わっているだけに。)まさに現場で起こっていることは「乖離」だ。
じゃあなぜ、こうした事態が起こっているか、著作権法がその設計段階で想定してたのは、「有形物」のみで、しかも法を使用するのは商業者だけだったからだ。
(有形物のみを対象とした証拠に、通常の番組には局に著作権があるのに、生放送の場合には局には著作権隣接権しかないといった例を挙げられる。これを擬似生放送にしてテープ収録後1分遅れで放送したら番組に著作権が発生する。変でしょ?商業者向けだったので結局業界慣習の方が優先されたという話は白田助教授が詳しい

著作権法もインターネットが出て慌てて「送信可能化権」を継ぎ足したけど、これは旧設計の概念をただ拡張させたに過ぎない。
 だから、ネットのおかげでだれでも発信可能な社会がやってきており、誰もが権利侵害をしたりされたりされる世の中がやってきてるのに、著作権法では対応できない事例が激増し「著作権法使えない。」ということになっている。


 これが企業のシステムならば、早急に新システムを導入し、解決策を図るだろう。でも相変わらず著作権法が現状のまま、改善する気配もない。そして現場も何が問題なのかきちんと説明つけられない。(これが昨日の愚痴だ。お前等中二病か?条文読んでから文句つけろよ。というような著作権法に対する愚痴がネットには溢れている。)


 だから「シフトチェンジありなら脱法行為もOK」なんていう議論が出てくる。当たり前だが最大多数の最大幸福のためでも、脱法行為は認められない。
 それは、ただただ「誰もが配信しやすく、使いやすく、課金と決済が可能になるサービス」を強引な技術突破で実現しようとしているだけだ。
 それで目的は達成できるかどうかは僕にはわからない。ただ、僕よりその分野では数倍お詳しいessaさんが言うならばそうなのだろう。(だれがそれを担保するのかは知らないけど。)
 ただ、その方法は「邪道」だ。法の理念が「正義」や「公正」、「公平」を担保するものだけに、方法論としてessaさんの主張とは逆に「自然法に反して」いる。(反している理由は前のエントリ読んでね)


 でも今後、法の世界にSEが大量に現れるかといえば、まずない。
法理学者なんて現在の日本に何人いると思う?そのうち現場を把握している人間は何人だ?
で、政策立案の場に食い込んでいる人達は、更にそのうち何人?そうやって考えていったら片手も残らない。っていうかいるの?

 
 現実問題として、当面の需要(例えば仰せのような決済システムなんか。これは僕も本当に必須だと思う。)は技術突破(法が駄目ならアーキテクチャでなんとかしよう作戦)でごまかすしかないのかもしれない。


でも技術突破には法的権威がない。例えば

>その前提として、フリーダウンロードを前提としてユーザとクリエイターの間で少ない金額でいいから確実にお金を回す仕組みが確立されるべきである。そういう仕組みに合わせた法整備をして、そこから違法行為を完全に取締ればいいと思う。

この前半は技術で可能だ。しかし後半
>そういう仕組みに合わせた法整備をして、そこから違法行為を完全に取締ればいいと思う。

は無理だ。法的側面は技術突破が不可能だし、それを新しく設計できる人間もいない。





どうだろねぇ。結論が出ないのを持って結論にしようかねぇ。

あー、あれだ。「がんばれ白田秀彰助教授。」だな。

by soulwarden | 2006-10-09 20:53 | 疑問


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